キャラクターデザイン

原作の儚い雰囲気を表すためにアナログタッチで描いたような表現を随所に

史耕 キャラクターに関して珍しい点で言えば、眉と目尻のデザイン、 頬が染まる表現、髪のハイライトなどに普通の線ではないブラシを使い、アナログタッチで描いたような表現が常にある形になっています。

土海 通常のルックとは少し違ったものを作りたいという気持ちがあったのと、原作の儚い雰囲気を表すために何か繊細なタッチが欲しいなと思ったのがこのアイデアに至るきっかけでした。絵のザラッとした質感を出すことで儚さをより表現できるんじゃないか、均一ではないザラつきがアナログ的な印象として残るんじゃないかと考え、試行錯誤した結果になっています。


海未とのどかのキャラクターデザイン。のどかに関してはワンピースから足が透けるデザインになっており再現に苦労したという。


カラーモデル。本作では約80名ほどのスタッフが関わっており、どのカットでも同じキャラクターに見せるための設定が細かく記載されている。




コンテ

土海さんが描いた絵コンテ。左上の絵が16:9ではなく縦長なのは、カメラが上にパンしていくことで海を見るシーンを想定しているため。「従来の絵コンテはA4用紙の左側にコマがあり、右側に指示が書かれたスタイルですが、土海の場合はAfter EffectsでVコンテを作るところがゴールなので、元から映像を作っていた人ならではのコンテになっています」と史耕さん。VコンテはQRコードからチェックしてみよう。







最終的なルックに至るまでの工程

レイアウト


原画・動画


最終的なルック

絵コンテをもとに各カットをアニメーターに発注し、様々な工程を経て1カットずつ丁寧にルックを仕上げていく。







映像の構成とストーリー

冒頭のシーン

本作の幽霊という存在は主人公を現代の世界に戻す役割

史耕 冒頭のカットは海外のクリエイターにお願いしたカットで、線香花火の光が海に沈んで、ぬいぐるみなどと一緒に青い蝶が生まれて新宿の街に降りていくカットになっています。本作においてとても重要なカットになっていて、個人的にも一番好きなカットかもしれないです。

土海 原作の「ユーレイ」には重要人物が3人いて、まず主人公の海未という女の子と、髪の長いのどかという女の子に加えて、水難事故で亡くなってしまった女の子がいるんです。原作では最後に少しだけ出てくるような幽霊のキャラクターなんですが、本作ではその幽霊の女の子を青い蝶に例えて、主人公を導くような演出をしています。この1カット目というのは、その幽霊の女の子が過去に辿ってきた流れを表現しているカットなんです。

史耕 幽霊って僕らのイメージだと基本的にはネガティブで怖い存在だったりするんですが、本作の幽霊という存在は、主人公の海未を死の世界ではなく生きている現代の世界に戻す役割というか、優しさで導いていくようなキャラクターとして、映像の中で何度か登場しています。





うみが家出をするシーン

原作小説のお題目として「はじめての○○」というテーマがあり、ユーレイは「はじめて家出をしたときの物語」として描かれている。


家出をした理由として、些細なことから仲間外れにされてしまい、うみの受けた精神的ダメージが大きかったことを表現するシーン。


都心から電車で移動するシーン。「学校という世界から抜け出して、いつもは行かないような別世界というか、大人に混じって浮いているような感じを出したいなと思い、モブをちゃんと描きたいという気持ちがありました」と土海さん。


「今日でバイバイだから」という歌詞に合わせて、うみが「バイバイ」と言うことで歌詞と映像がリンクする瞬間を作り出している。「ストーリーテリングも重要ですが、音楽のための映像ということを第一に考えることがMVを作る上で大事な要素だと思います」と史耕さん。




電車が海に沈んでいくシーン


海の中の世界は内面的なものを吐露できる場所という設定

土海 電車が沈んでいくシーンでは、現実世界から海未の内面の世界に切り替わっていくというか、海と月と夜空が見えるような世界に落ちていって、さらに下へ行くと自分がいたくない場所である学校の中に落ちていくという流れになっています。ここは、コンポジットしてもらうときに「キラキラさせてほしい」と注文した記憶があります。海未の内面世界は悲しくはあるけれど、何かそこにわずかな希望みたいなものが光となって周りにあるようなイメージがあって、最終的にこういった画面になっています。

史耕 本作では、ちゃんとしたリアルな現実世界とファンタジーな世界のふたつが存在しています。ファンタジーの世界である海の中では、表層的なものではなく、自分の内面的なものを吐露できるような場所という設定にしていて、うみの切ない表情や気持ちの揺れ動きを繊細に描いています。







のどかが登場するシーン

「海未は暗い感情を持ってここに来たんだな」とのどかが察していくストーリーライン

史耕 のどかのパーソナリティは割と明るくて、儚く見える少女が実は母親と喧嘩して出てきただけの陽気な女の子という、意外とユーモラスなところがポイントです。また、原作小説の面白い部分として、女の子同士のコミュニケーションがあまり直接的に熱く話さず、淡々としていてすごく現代っぽいんですよ。それが、偽りがなくリアルな会話をしているようで面白いので、ぜひ原作も読んでいただきたいですね。そういった他愛もない会話をしながら、「海未は暗い感情を持ってここに来たんだな」ということを勘のいいのどかが察していくようなストーリーラインになっています。




幽霊と海未が出会うシーン

死に近づいていく心理描写から生の方向が見え始める起点となる場面

史耕 海未の心理状況が歌詞とともに少しずつ死に近づいていき、内面の世界で幽霊の女の子と出会います。「こっちに来ちゃダメだよ」と幽霊が伝えたタイミングでのどかがライターに火をつけたことが起点となり、現実世界に呼び戻されて花火を始めます。湿気っていてなかなか火がつかない中、のどかが真剣な眼差しで「やめなよ」とうみに伝えたところで花火がつき、2サビに入ります。





花火をするシーン

原作を読んでいて、光というものがうみの心の揺れ動きに連動するように思えた

史耕 花火に合わせてシネマスコープが16:9に切り替わり、映像的にここが一番華やかになるよう仕上げました。

土海 原作を読んでいて、光というものがとても大事に感じたんです。それは、だんだん沈んでいく太陽の光であったり、この花火もそうで、海未の心の揺れ動きに連動しているというか。何か生き物のようなエネルギーを感じさせる花火を意識して描いた気がしますね。




クライマックスのシーン

当時の自分たちにとって今できる精一杯の作品と感じながら作り上げた

史耕 花火が消えて内面世界の電車が海に沈み、のどかとも手が離れてしまったところで幽霊が海未を繋ぎ止めてくれて、ふたりは夜の綺麗な世界に飲まれていきます。このクライマックスのシーンは、のどかが表面的ではなく真剣に海未の自殺を止めに入るカットということで、アニメーションとしても気合を入れましたよね。

土海 そうですね。アニメーターさんにも本当にいいカットにしていただき、感謝しています。

史耕 翌朝、そのまま寝てしまったふたりのカットに切り替わり、のどかを幽霊だと誤解していた海未は、隣にいる彼女を見て「なんだ、現実にいるじゃん」と笑うところで話は終わり、最後にずっと見守っていた青い蝶が映ってクレジットを迎えるというストーリー展開になっています。

原作がベースにありながら、半分以上が映像のために作られたシーケンスで、ひとつひとつファンタジーを織り交ぜながら作っていく形だったので、大変でしたが楽しい制作でした。当時の自分たちにとっても、これが今できる精一杯の作品と感じながら作り上げた記憶があります。








いい映像をつくるためには


本当にいいと思うまで諦めないこと

楽曲や原作と真摯に向き合わなければ映像としてもいいものにはならない

史耕 作っているときはいいものを作るために必死ですが、MV制作を終えてからその作品をきちんと振り返ることが自分たちにとってすごく重要なことだと感じています。もちろん、クライアントのため、ファンの皆さんのために作るものではありますが、自分たちが映像クリエイターとしてこれから成長していくため、より注目してもらうためにはどうしたらいいのかを考え、それぞれの仕事に対して課題やミッションを考えながら物作りをすることが大切なのかなと。

土海 絵って正解がないとよく言われるんですが、私は正解があると考えていて。自分にとっていいと思える瞬間こそが正解なんじゃないかなと思うんです。そこに辿り着くまでは何度も試行錯誤して繰り返す根性論のような部分もあるんですが、粘り強くトライするしかないと思っていつも作っています。だから、いい映像を作るためには、本当にいいと思うまで諦めないことが大事なのかなと思いますね。

史耕 絵を突き詰めていく作業については、業界用語で言う「撮影出し」という工程の中で発生していて、映像素材の背景やアニメーションの人物レイヤーを一旦土海に集めて、そのすべてを土海が修正してコンポジターに渡すという作業をしています。この作業をしている方はアニメ業界でもかなり少ないんですが、そうしなければ土海が本当にいいと思えるところまで素材を突き詰めていけないので、スケジュールとの勝負をしながら「絶対に土海に戻す!」という気持ちでいつもやっています。

また、これはプロデュースサイドからですが、「すべての人にとって、いいものにする」ということを絶対条件として精神的に持っておきたいと考えています。例えば、それがクライアントにとって、YOASOBIのファンにとって、世の中にとっていいものになり、価値を生み出す作品になることもそうですし、ともに作ったスタッフにとって、最終的に自分たちにとっても次に繋がるいい作品になるよう意識しながらいつも作っています。特に、クリエイターの場合は自分の作りたいものを作るという考えを優先しがちですが、僕らの場合は皆でエンタメを作り上げ、その中心にYOASOBIの楽曲があり、辻村先生の原作があるので、そこに対して真摯に向き合わなければ映像としていいものにならないと日々感じています。だからこそ、袖の笑いをとるだけではなく、観客の評価もしっかりと得ていくような物作りを今後もしていきたいなと思っています。



映像制作チームとしてのゴール

課題をクリアできることを証明したいと思いながら本作の制作をしていた

史耕 僕らには「いつか映画に挑戦する」という映像制作チームとしてのゴールがあります。僕らとしては、ドラマ的な演出が作れるのか、劇場映画として遜色のないクオリティを出せるのか、シネマティックな映像が作れるのか、といった部分を課題として持っていたので、『海のまにまに』のMV制作を通じて、「そういった課題をしっかりとクリアできることを証明したい!」と思いながら制作をしていた部分もありました。

その結果、本当にいい形で本作の制作を終えることができ、多くのメーカーさんや映画配給会社さんからお声がけをいただけました。そして、現在念願の映画制作に挑戦しているところなので、ぜひ今後の騎虎の活動にもご期待いただければと思っています。